スタートは少人数で

まちづくりの上で必要な要素の一つに「少人数で」というのがある。物事のはじまりは、大抵、一人二人、ごく少数の発案や行動から起きていることは、多くの歴史が物語っている事実である。明治維新も、薩長や土佐の若手志士がその重要な原動力になり、とある誰かが「こうあるべきで、行動しようと思うが」と名乗り、声を上げたところから「わたくしもそう思っている。よし。」と呼応し、時代が動き始めた。

これが、最初から「では、倒幕を企画し、明治維新を行たいと思いますので、つきましては、将軍様、各藩の藩主様、ならびに大老様、発案の志士様、100名で会議を行います故、ご参集のほど・・・」なんてやっていたら、絶対に明治維新など起きていないのである。

さて、現代の地域おこしに話を戻すと、最も怖いと思うのは、富士宮やきそばはじめ、各地の成功事例ができると「では、これを研究して、わが地でも名乗りを上げ、やろうではありませんか」「他の地域でできてるのに、なんでうちはこれは無いんだ」みたいなのりで、行政や関連機関が、大所帯で動き出そうとしてしまう事である。

先ほどのたとえ話ではないが、明治維新をいきなり100人会議で考えてみよう、みたいな話が起こってしまう可能性がある。いや、時すでに遅く、各地で起きており、意義も効果も不明な会議が多く存在している。地域の重鎮、ご意見番、各組織の代表などがそろいもそろって、あーでもないこーでもない、これはできるがこれは難しいなど、言いたい放題で、結局着地点が見つからないのは日常茶飯事。「では、継続審議で」「研究レポートをまとめて」みたいに、行動に至らない地域活性化会議は世に多くあり、予算や補助金を消化するだけ、謎のコンサルタントやセンセイが雨後の筍のように現れるような事業も少なくない。(もちろん、すべてが悪いというものではないが)

客観的に見ればその滑稽さはよくわかるのだが、当事者たちはそれでもいたって真面目である。

やはり、お勧めするのは、少人数でスタートダッシュは切るべきだ、というところ。

多くのエネルギーが費やされた、実際に100名近い、まちづくりのワークショップが1999年に行われ、それが富士宮やきそば誕生のきっかけ、遠因になったのだが、決して「ワークショップの直接の成果として誕生したのではない」のだ。「こんなワークショップをやっていて、地域が変わるわけがない、と、ワークショップに不満を持った十数人が事後に集い、さらにその中のコアな4~5人が原動力となって周りを巻き込み動き出した」のが富士宮やきそば学会なのである。

フットワーク軽く、柔軟に行動できるメンバーで、骨子はまとめて実践するのが、改革、新しい糸口創造のポイントであると考える。(田邉元裕)