ナイチンゲールは起業家であり統計学者とも言える事から学ぶ

地域活性化活動には「ボランティア」という言葉が付きものです。

地域活動において、このボランティアは様々な局面で活躍、運用されてきましたし、私自身も、ボランティア活動を行ったり、逆に、ボランティア募集という形で事業の支援を彼らに頼ったりしたこともありました。

ただ、反省の意味も込めて、このボランティアという事を、「お金がないからボランティアを」「地域のことならボランティアでやってくれるであろう」という、安易な発想や、思考停止のまま使ってはならないと思っています。

看護師で、近代看護教育の母と言われるイギリスに生まれたフローレンス・ナイチンゲールに対して、皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか。献身的看護、聖母のような存在、文字通り奉仕精神、ボランティア精神の塊のような人?確かに彼女の活躍のスタートは、そうした奉仕精神がきっかけだったかもしれません。

ナイチンゲールの真骨頂は、徹底的な現実主義

しかし、ナイチンゲールは、献身的看護をただひたすら行ったような人ではありません。ロンドンの病院で働いていた際には、イギリス各地の病院の状況を調べ、看護の専門教育の必要性を訴える活動をしています。

その後、ドイツのクリミア戦争(1854年)が勃発すると、負傷兵の扱いが悲惨であると伝えられ、ナイチンゲールは自ら看護婦として従軍する決意を固め、戦時大臣の依頼もあり、30名を超えるシスターと看護婦を率いて戦地へ赴きます。この後からが彼女の非凡さがさらに現れてきます。

戦地の兵舎病院では、この一団の参加が拒否されます。前例主義、縦割り行政の弊害、看護婦の低い地位(当時は病人の世話をする召使いのような扱われ方をすることもあった)など、様々な要因があったと想像されます。

それでも、不衛生な病院の惨状を見るにつけ、ナイチンゲールは「あ、トイレ掃除はどこの管轄にもなっていない!」という所に気づき、「トイレ掃除やりますから」と、そこから病院の中に入り込んでいきました。ナイチンゲールたちの活動はヴィクトリア女王の理解を得られていたことも追い風になり、徐々に活躍の場が増え、彼女は看護師の総責任者にまでなります。

献身的な看護を彼女たちが行ったことは言うまでもありません。夜中にもランプを持って傷病兵を見回り、何かあればすぐに対応し傷病兵は勇気づけられました。「白衣の天使」という言葉の元は彼女たちの活動から来ているといいます。しかし、ナイチンゲールは「数字を把握する」事を怠りませんでした。徹底的、ある意味残酷なまでに現実主義でであったと考えられます。病人の人数、死者、各種状況を克明に記録し、女王にも定期的に報告。戦争による負傷そのものより、死者の原因は不衛生による感染症であることを訴え続けていきました。本国で衛生委員会が発足して調査団が訪れたことも自体好転のきっかけとなり、1855年の2月には42%まで跳ね上がっていた死亡率が、4月には14.5%、5月には5%と、一気に、圧倒的な改善が進みます。

戦中は英雄扱いされており、本人もその評価を受け入れ、結果、国の多くの支援・理解を取り付ける事にもつながっていったのですが、終戦・講和後は考えを一転し、あえて偽名を使ってまで、人知れず1856年の8月帰国しています。

ナイチンゲールが次に手がけたのは、病院の状況分析でした。膨大な資料を調査・読み解き、これを元に多くの統計資料を作成し、関係機関に提出しました。これが大きく評価され、保健の制度、組織改革に繋がり、イギリス王立統計学会の女性初のメンバー、アメリカ統計学会の名誉メンバーなどに参加することになりました。イギリス本国では、彼女を統計学の先駆者として見る向きもあります。さらにすごいのは、今では当たり前ですが、彼女は報告書に、データだけではなく、ビジュアル的なグラフを導入し、非常にわかりやすいものになっていました。

ナイチンゲールが作成したグラフ

また、ナイチンゲールは「犠牲なき献身こそ真の奉仕」という彼女自身による有名な言葉に見られる通り、構成員の自己犠牲にのみに頼る援助活動は長続きしないことに気づいており、赤十字社の活動に関与しておらず、ボランティアによる救護団体の組織設立には反対の立場でした。

奉仕、ボランティアの「精神」は大事であり、それに頼ることもあるが、経済的援助や、自立した経済活動がなければ、それも無力になってしまうことに気づいていたのでしょう。彼女は看護学校の運営、設立にも関与していきました。現在に近い看護師養成体制が整えられ、勤務先病院・施設の完備、適正な給与体系、勤務待遇など、環境の整備が進みました。

ナイチンゲールは、看護師の鑑でもありましたが、統計学者でもあり、そうした社会基盤を形成することに尽力した社会起業家とも言えるのです。

ナイチンゲールの姿勢・実績からも、漠然とした、計画なき、闇雲な地域活動、ボランティア活動の危うさを感じざるを得ません。

立ち上げこそ、ボランティアでも良いかもしれませんが、継続性を担保していく、すなわち、経済的な課題をクリアしていかなければどんな活動も成り立ちません。志が崇高なボランティア、地域活性化活動は多くあり、すべてが素晴らしいものです。素晴らしいものなのに、継続ができず、消滅、解散、分離集合を繰り返すNPOや地域団体は枚挙にいとまがありません。その多くは資金難が原因です。

身近な事例に目をやれば、富士宮やきそばは、商標権を取得し、ライセンス料収入を得て、活動のための資金にしていました。それをまた再投資して次の展開につなげたり、水平展開で関連した地域活動に活かして、次の希望の種を巻いていました。

皆さんは、ナイチンゲールのエピソードから、何を感じられるでしょうか。理想論、根性論が台頭し、数値が後回しになっていないでしょうか。経済的な基盤が確保ができているでしょうか。自己陶酔、自己犠牲だけの活動は長続きしません。イメージだけの、アバウトで安易な地域活動も破綻を招くだけ。緻密な統計、分析、企画立案、実行が求められます。(田邉元裕)