イベント中毒は怖いが、イベント参加中毒も怖い。依存からの脱却を。

先日「イベント中毒にならないように」というエントリーを書きました。

常にイベントを打っていないと安心できない、麻薬患者レベルで危険なイベント中毒。別に、イベントをやってはいけない、というものではなく、目的をもって、いかにイベントをやるか、が重要なのに「手立てがないから、とりあえずイベントすれば人がくるだろう」が怖いのです。その時は人が来ても、あとはまた閑古鳥。あまりにつらい現実なので「よし、定期的にイベントをやろう」という、悲劇の連鎖が起きます。かくして、そのまちおこしプロジェクトだったり、その商店街だったり、本質の魅力を磨く努力、工夫もないままにイベントをやめられくなってしまう経営者、商店街など組合的な組織は山のようにいます。 「他がイベントうってるから、うちもうたなきゃ」と、浮足立つ必要もありません。本来の、日常のサービスを磨くことを今一度見直してみるべきです。

さて、今日は少し視点ずらして、イベントをやらないと落ち着かない族も多いけれども、イベントに参加しないと落ち着かない族も多くてこれもまた課題というか、いかがなものかと思うこの頃です。イベント参加中毒、とでも言うべきでしょうか。

イベント大好き、片っ端から参加してるような人が居ます。「今日は●●のイベントに来てまーす!サイコー!」と、毎日のようにSNSに投稿している様子を見かけます。別段悪い事じゃないので、何をもって「中毒」と指摘するのか?と思われるかもしれないのですが「このイベントは意味があるのか」「どういう趣旨なのか」「これが何につながるのか」という話はそこになく、「楽しければそれでいい」「高揚感・連帯感が得られればそれでいい」「お得(に感じる)であればいい」「推している誰誰さんのお店に行ければいい」と、思考しているようで思考停止している点が、怖いと思うのです。

参加しないと、妙な孤独感、疎外感を味わってしまう事になるので、次から次へと、イベントジプシー。むしろイベント参加が無いことの方が不安、となってしまったら、もうあなたはすでにイベント参加中毒者かもしれません。イベントでなくても、あらゆる交流会、勉強会、ボランティア、宗教、そうしたものへの依存も近いかもしれません。

ギャンブルとか麻薬中毒だったら、止める人間もいれば、止める法律もある。でも、イベント中毒も、イベント参加中毒も、禁止される部類にはない事柄なので、下手すればますます推奨されてしまう。「次のイベントも期待しています」「次のイベントでもあいましょう」なんて言われると、ますます歯止めが利かなくなることも。

というわけで、必要のないもの、あ、これだとピンとこないものには、無理して時間やお金を割かないことも大事なことだと思うのです。

「色々イベントを企画運営したり、色々イベントに参加しているお前が言う?」と言う方もあるかもしれませんが、自分への注意警鐘の意味も含めて書いています。自分は、イベントとまつりを明確に分けていて、これは文化人類学的にどうこう、と、話が深くなるのでまた別途触れたいと思っています。また、いろんなイベントに参加しておりますが、いいところ探し、課題探し、自分が運営者なら、と、勉強の為に参加しています。

あなたはイベント中毒、イベント参加中毒になっていないでしょうか?客観的に自分を見てみると、わかるはずなのですが、中毒者は客観視などなかなかすぐにできないものです。なので、周りの方で「こいつ、(アル中ならぬ)イベ中だなあ」と思ったら、「イベント中毒じゃない?」と質問してあげると良いと思います。(田邉元裕)